財団法人 滋賀県建築住宅センター
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八日市 ▲まちづくりインデックス

 
よろこびと誇り…の
八日市太凧まつり

 八日市では毎年5月第4日曜に大凧まつりを開催。大凧の他、各地の郷土凧
やミニ大凧など、かなりの数の凧が愛知川(えちがわ)河川敷に集まり、五
月の爽やかな風をうならす。今年は5月23日。メインの大凧は去年にひき続い
ての百畳凧で、読み方は「大凧と緑の町・八日市」。三羽の鳥が描かれている。
これで″みとりー>みどり”。多い幸で(多幸ー>タコ)。それらの真中に
市章が描かれて(八日市)。いや、お見事。この頭のよさ、というのは、近
江商人のそれと通じるものなのだ、と思う。
 大凧は今は大凧保存会でその技術が伝えられているが、揚げるためには多
勢の市民の力が要る。飛揚させるためには一畳あたり一人強の力が必要とい
い、百畳凧を揚げるためには130人が必要になる。ちょっとしたお神輿(みこ
し)並みに人手が要るわけだ。心を一つにしないとうまくはいかない。そう
いう心の集まりが日常生活の中でも町のエネルギーになっていくわけである。
″この町の人間なんだ″という誇り、それが町の活気になっているのだと、
数年前大凧まつりに集まった人たちの表情を見ていて思ったが、年々、その
おもいは深くなる。


大空へのステーションの
あった町
 大凧通りを歩いていたら、公民館前に「民間飛行場発祥の地」という美し
いモニュメントがあった。凧ではなく、この町の人は空を飛んでいたのか!?
通りがかりの中年の女性にたずねたが、よくは知らないとのこと・・・。
それにしても、大空へのステーションがこの町にあった、それも″発祥″地
だった、なんてスゴイ。八日市の空は余程、魅力的なのか。
 八日市の飛行場のいきさつはこうだった。
 大正の初めに飛行機ブームといえる時期があり、今の秦荘町出身の飛行家
荻田常三郎という人が故郷へ凱旋飛行をされた。それに端を発して、当時の
八日市町と、沖野原に広大な土地を持っていた熊木九平という人が尽力し、
沖野原に大正4年、日本初の民間飛行場ができた。いずれは飛行士養成の飛
行学校もつくって、飛行機都市にしよう、という遠大な計画もあったそうだ。
が、荻田氏は志半ばで墜落死。後を熊本氏がひきついで、大正10年まで、曲
芸飛行などの飛行機の離着陸が行われていたという。その後、陸軍省にそっ
くり寄付され、第二次大戦では陸軍第三連隊の基地となり、昭和20年の終戦
とともに、飛行場は廃止になつた。
 今、沖野は住宅や工場が建ち、その面影はない。モニュメントのある辺り
が、飛行学校のための事務局のあった修交館跡だといい、わずかに形として
見える所だ。因に、このモニュメントは管制塔をイメージして昨年、建立さ
れたものである。
 凧といい、飛行機といい、八日市は飛翔の町なのかもしれない。
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