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豊郷町 ▲まちづくりインデックス

 
文化を伝えた近江商人

  江州音頭誕生に一役買った藤野太郎右衛門と四郎兵衛。その子孫の藤野喜兵衛
は近江商人の代表格の一人。幕末、北海道で漁場を開き、北前船で北海道と交易
を行い、富を築いた。又十屋敷と呼ばれた藤野家本宅は、今は夏原太市氏によっ
て豊(ゆたか)会館という歴史資料館になり、調度品や武具、庭園などが公開さ
れている。
 近江商人は始末に徹するが、公共のための金は惜しまない、と言われる。
 藤野家にもこんな話がある。江戸・天保の飢饉の非常時に、千樹寺建立と自邸
改築という大普請を行う。何たることかと、彦根藩からのお咎め。が、実はこれ
は今で言う、雇用拡大。工事により窮する人に労賃と食料を支給し、救済をはか
ったのである。このことは彦根藩の信望を得ることになり、井伊家との親しいつ
きあいが始まったという。豊会館の書院の床の間に刀傷があるのだが、これは幕
末、遊びに来ていた井伊直弼が刺客に襲われた時の傷だという(この時は直弼は
無事)。



近江商人藤野家(現在の豊会館)の書院の庭
 豊郷商人で忘れてならないもう一人は、伊藤忠兵衛。
現在の大手商社の伊藤忠・丸紅の創始者である。十七歳の時、麻布をもつて行商
に出て、長崎で海外貿易に開眼。遂には日本の貿易の道を開く。彼の旧宅も今は
誰も住まいはしていないが、黒い板塀に見越しの松の当時の姿のまま、中山道に
残っている。
 近江商人が公共のためにお金を惜しまなかったというのは、豊郷小学校にも見
ることができる。白亜の美しい校舎。忠兵衛の片腕といわれた丸紅専務の古川鉄
次郎が昭和十二年に寄贈したものである。豊郷病院も近江商人の力で開院された
し、近江平野をのんびり走る近江鉄道も、各地の近江商人たちの共同出資で敷設
されたものである。
 文化を伝えるにはお金がかかる、とはよく言われることだが、確かに近江商人
の精神と財力は、文化の大きな力となっていたのだ。

中山道に残る伊藤忠兵衛の旧宅
黒塀に見越しの松が懐かしい風情を漂わす
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