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江州音頭誕生に一役買った藤野太郎右衛門と四郎兵衛。その子孫の藤野喜兵衛
は近江商人の代表格の一人。幕末、北海道で漁場を開き、北前船で北海道と交易
を行い、富を築いた。又十屋敷と呼ばれた藤野家本宅は、今は夏原太市氏によっ
て豊(ゆたか)会館という歴史資料館になり、調度品や武具、庭園などが公開さ
れている。
近江商人は始末に徹するが、公共のための金は惜しまない、と言われる。
藤野家にもこんな話がある。江戸・天保の飢饉の非常時に、千樹寺建立と自邸
改築という大普請を行う。何たることかと、彦根藩からのお咎め。が、実はこれ
は今で言う、雇用拡大。工事により窮する人に労賃と食料を支給し、救済をはか
ったのである。このことは彦根藩の信望を得ることになり、井伊家との親しいつ
きあいが始まったという。豊会館の書院の床の間に刀傷があるのだが、これは幕
末、遊びに来ていた井伊直弼が刺客に襲われた時の傷だという(この時は直弼は
無事)。
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