紫香楽への思いの
深かった聖武天皇 |
紫香楽宮は聖武天皇(しょうむ)が大仏造立を発
願された宮である。この頃、天皇はそれまでいた平
城京を出て、いわばさすらいの年月をすごされてい
る。都も当然変わる。それは五年に及び、都は三回
動かされるのである。そのさすらいの途次の都のひ
とつが紫香楽宮で、大仏発願もそういう状況の中で
のことだった。紫香楽は天皇自身が随分と気にいり、
大仏も当初はこの紫香楽に造るつもりだったらしい。
にもかかわらず紫香楽の都は建設開始から数えてた
った三年で捨てられ、都はまた、元の平城京に戻さ
れ、かつ大仏も奈良に造られてしまう。度々の遷都
の理由もあれこれ推測すると面白いのだが、この度
はその前に、紫香楽宮と目される場所をたずねてみ
た。様々な事情の中で聖武天皇が都を造りたかった
その場所である。
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史跡紫香楽宮趾。礎石が整然と並ぶ
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紫香楽宮の宮殿のあった場所はずっと信楽黄瀬(きのせ)と推定されてきた。松林の中、三百
数十個の礎石が整然と並ぶ小高い丘があり、そこだろうということで大正十五年、国の史跡に指
定。これが今、一般的に《紫香楽宮趾》といわれているところである。が、宮町の調査が進むに
つれ、宮殿があったのは宮町の方であり、現在、史跡になっている辺りは、紫香楽の都の一角で
はあるが、宮殿のあった場所ではない、ということが徐々に判明してきつつあるのである。なら
ば、現在の史跡紫香楽宮趾は何かというと、大仏を造ろうとした甲賀寺だったのではないか、と
みられている。史跡の近くで出会った女性は宮町のことは詳しくご存じなかったが、「たった三
カ月といえど、信楽に都があったことを信楽に遊びにくる人たちに知ってもらいたいわね。」と
おっしゃっていた。幻の都紫香楽が華々しく登場する日が早くくるといいけれど。
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| 一二五○年前の造成地、宮町
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宮町遺跡は史跡紫香楽宮趾から北へ二キロぐらい
のところである。馬門川に沿って北へ行くと、突然
広い水田が開ける。驚くほど、広々としている。こ
こから東の上方を見ると、この里を見守るような姿
の修験の山飯道山(はんどうさん)が聳えている。
天皇が紫香楽に宗教的聖地を求めていたのなら、飯
道山を仰ぎ見るこの地は理想の場所であったと思え
る。が、さらに驚いたのはこの広い地が一二五〇年
前、宮を造るために造成された土地だということだ
った。機械などない時代に、山を削り、谷を埋め…。
なんという大工事! つまり、聖武天皇はそれほど
までしてこの地に来たかったのである。権力争いが
醜く続く中でここは天皇の心を穏やかに包んでくれ
る所だったのだろう。
信楽は今も美しい土地である。山も川も風も透明
感をたたえている。風景の美しさはどれだけの人た
ちが優しい目で、その風景を見詰め、大事に思って
いるのか、ということと実はつながっているのでは
ないだろうか。史跡で宮町のことを訪ねた女性から
フッとそんなことを感じた。
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宮町の田んぼ。背後の山は飯道山。
ここに宮殿があった…?
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