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竜王町 ▲まちづくりインデックス
 
「近江牛」秘話
 日本には「根回し」という言葉がある。コトがう
まく運ぶように、予め周囲の各方面に話をつけてお
くことをいう…のだが、政治でも経済でもこの「根
回し」が結構、重要な役割を持っているのが、日本
社会である。その是非は場合によるのだろうけれど、
その根回しのために、つけ届け″が横行するよう
になると、これはもう是非もない。
 幕末、近江彦根の質実剛健な御仁はこのつけ届け
無用を実践して暗殺された…というのは、いささか
話がトビすぎだが、そんなことがまことしやかに囁
かれたこともあったとか。《井伊直弼(いいなおす
け)と近江牛》だ。

鏡集落を突っ切る国道8号(昔の中山道)に一瞬の静寂
 日本では江戸時代までは肉食は禁じられていた。が、こっそり隠れて食する者はあった、というのが
定説。徳川御三家でさえも実は、近江牛の味噌漬けが秘かに好きだった、というのだ。但し、名目は薬。
つまり、牛肉は「養老の秘薬」だったのである。御三家に秘薬の近江牛を献上していたのが井伊家。と
ころが、直弼が藩主になって「進物など無用」と、贈るのをやめてしまった。一方…、水戸の斉昭(なり
あき)は近江牛が大好きだった、のに、直弼からは何も届かない。直弼は大体が、牛の如くに寡黙な男で
あったこともあり、斉昭は思わず罵(ののし)ったとか……。「彦根の牛め…」と。
 とまあ、食べ物の遺恨が桜田門外の変の引き金になった、というのは大袈裟な話としても如何に近江
牛の魅力が大きかったかを想像させる話としては面白い話ではある。
 近江午は近江で育てられた美味なる肉牛。その近江牛の中でも、ウチこそ本場、と自負するのが、竜
王町である。
 文明開化の明治になって人々は牛肉を食べるようになった。仕掛けたのは東京浅草の 「米久」 の
主人・竹中久次。苗村(なむら)(今は竜王町)の出身だった。彼は店で牛鍋なるものを始めたのである。
もちろん、肉は近江の牛。つまり、「近江牛」だ。ゆえに「近江牛」のブランドは竜王町で生まれた、
ということになる。
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