財団法人 滋賀県建築住宅センター
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近代化に遅れたことの長短
  大津の経済に翳りが出始めたのは、江戸時代中頃、経済の中心が京都から大阪に移り、北国の物資が北前船によって直接、大阪に運ばれるようになってからという。明治になって鉄道が開通すると、さらに宿場町としての役割も終わり、大津を潤す風は凪いてしまう。が、大正元年、札の辻と京都三条を結ぶ電車が走り、さらに浜大津−石山間も開通すると風光明媚な琵琶湖への遊覧客が増え始めた。実は、明治の初め、初代大津県令の松田道之は、大津の進むべき道は観光だと既に言っていたらしいのだが、余暇とか観光という発想などない明治の初めでは期は未だ熟さず…、この策は花、開かずだった。
  電車の開通で往来が便利になると、遊覧客も増えたが、出て行く人も増えた。なにしろ、京の都は電車でひと走りの距離だ。人は京都へ流れ出し、結局は大津自身の発展につながらなかった。このことがよかったかどうかは価値観の違いもあり判断の分かれるところだが、大津に、「町」が感じられるというのは、「心」の問題としてはいいことだと思う。大津祭が守られてきたのも〈町の心〉が伝えられていたからではないだろうか。
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