| 巨大楼閣跡のロマン |
| 西日本には“邪馬台国ロマン”といえるものが各地にあって、たぐると結構、面白い。 |
| 邪馬台国というのは、3世紀前半頃、日本にあった小国の集まった国のことで、治めていたのが女王卑弥呼、と、中国の『魏志倭人伝』という本に書かれている。この本は4世紀、大和朝廷登場以前、日本がどのような状態にあったかを知る上で重要な手がかりとなる本…なのだが、実は、肝心な部分の記述がないため、“邪馬台国”の場所が確定できないのである。つまり、邪馬台国というのは朝鮮半島南端から対馬・壱岐・さらに北九州の末廬・伊都・奴・不弥・投馬の国を経て到達できる国なのだが、伊都国から先の方向と距離が記してない。そのため、そこから先はいろんな人がいろいろと推理し、結果、各地に“こここそ邪馬台国”という地が登場。
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| 近江もその一つ。近江王朝説というのがある。昭和49年、元京都大学教授の林屋辰三郎氏が打ち出された説で当時、話題をよんだ。邪馬台国論争というのはもちろんまだ、決着がつかないのだが、近江王朝説というのは、琵琶湖という豊かな湖と水辺を思えば、耳傾けたい説の一つ、である。
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| ところが、最近、その論争に影響を与えそうな遺跡が守山市伊勢町で発見された。九州の吉野ヶ里を凌ぐ楼閣跡である。高さ約12メートル、面積88平方メートルの高床式建物で、その復元想像図を見て驚いた。壮大な建物なのだ。『魏志倭人伝』によると、邪馬台国には楼観や城柵があったというから、この辺り、倭人伝の言う邪馬台国の30の小国の一つであったかもしれない…、なんて思うと、ワクワクしてくる。
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▲伊勢遺跡。
写真/守山市立埋蔵文化センター |