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その東海道の水口宿は当時、旅する人たちの楽しみの
宿場でもあったという。昔の旅寵の食事は大抵一汁一菜
の粗末なものだったらしいが、水口宿ではどじょう汁が
出たというのだ。今は地元の人でさえ、水口とどじょう
は結びつかないようだが、こういう話からも、水口の賑
わいが想像できる。
水口にはもう一つ、名物があった。安藤広重の錦絵「
東海道五十三次」の“水口”に描かれた干瓢(かんぴょう)である。
かつて夏になると<<四方見渡す限り、ひらひらと風にひる
がえる干瓢の家ばかり>>だったという水口。現在の干瓢
事情をきいたら、
「干瓢って手間がかかるんですよね。だから、農家に手
間のなくなった今では、干瓢農家も7〜8軒になってし
まいました。」と、役場農林課の女性が丁寧に説明して下
さった。それでも、「水口の歴史の中の特産品を大切にし
よう」ということで、水口かんぴょう料理伝承と開発の
グループ(ひまわり会・むつみ会・婦人会)があって、
干瓢のアイデア料理を考えていらっしゃるとのこと。
世の中が便利になって、衣も食も住も、ひょっとした
ら人の生き方まで均一化の方向にある日本で、その土地
独特のいろんなものが消えている。食だけみても、昔、
旅人が水口宿のどじょう汁を楽しみにしたような楽しみ
が少なくなってしまった。昔と違って豊かになって、い
つでもどこでも何でも食べれる時代ですもの、で、すま
せてはいけないことだと思う。昔人が伝えてきたものは
「土地の文化」だから、文化としてもその土地独特のもの
は消してはいけないのだ。次の世代にその文化をひきつ
ぐ責務が時代時代に在る。そういう意味で、この干瓢料
理の話を開いた時、なんだかとても嬉しい気がした。ちな
みに、干瓢の辛子和えとか干瓢チップスなどのアイデア
料理は酒肴にもおやつにもなって、なかなかのものだっ
た。
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