湖東町から出た近江商人の家の一つに西堀という家もあった。湖東町横溝から京都に出てちりめん問屋として大成した家である。
その家の五人の孫の末っ子に柴三郎という探求心旺盛な子がいた。その子は十一歳のとき日本人初の南極探検をした白瀬中尉の南極報告会に行き、南極に魅せられてしまう。
それからおよそ四十年後の昭和三十一年十一月八日、南極観測船「宗谷」が東京晴海埠頭から出航していった。日本の南極観測の始まりだった。その第
一次越冬隊長が西掘榮三郎。少年の夢は現実となっ たのである。その名は、彼が白瀬中尉の名を心に刻んだように昭和三十年代の子たちの心にも焼きついた。ちなみによく知られる『雪山讃歌』の一番「雪よ岩よ我らが宿り俺たちゃ町には住めないからに」 は西堀氏の学生時代の詩である。 |

馬堤溜池のほとりに氷山のように建つ
「探検の殿堂」とタロとジロの像
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