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●近江八幡市 ▲まちづくりインデックス

秀次が築いた城下町
  近江八幡。天正十三年(一五八五年)、豊臣秀吉の甥
の秀次が八幡山に城を築き、信長の安土城下の町衆を移
り住まわせてできた町である。城下町の町割は碁盤目状
に整然としている。当時、城下町といえば、敵の攻撃を
かわし易いように、道は見通し悪く鍵の手につけられる
ことが多かったのだが、この町の町割はわかり易い。信
長の楽市楽座の自由な気風は、町衆にも、それから秀次
にも、定着していたのかもしれない。こういうわかり易
い町割ひとつからも、合理的な町の思想が感じられる。
商いを通して、活気ある町を造ろうとした意図がうかが
える。
  近江八幡はいわゆる近江商人の出身地である。ただ、
一口に近江商人といっても出身地によって、活躍の舞台
も商いの方法も違うので、ここでは、八幡商人と呼ぶこ
とにする。

近江商人の町はしっとりとした家並みがつづく
楽市楽座の自由な
気風が生んだ八幡商人
  この八幡商人の発生はハングリー精神だったといわれ
る。主の豊臣秀次を失い、保護者をなくした商人たちは
全国へ散った。行商人として天秤棒一本での出発。確か
にハングリー精神というのは、人を大きく飛躍させる力
をもっている。が、八幡商人の成功がハングリーだけで
もたらされたとは思えない。近江八幡に残る八幡商人の
足跡や、私の知る八幡の人々の気質をつぶさにみている
と、発想の柔軟さ、みたいなものを感じる。自由な精神
の持ち主たちだったのではないか。八幡商人の場合、家
康の保護があったこともあるが、江戸時代のはじめに、
もう、東南アジアとの交易の道を開いていた商人がいた
というのも、“才覚”というより、思考の柔軟さ、生き
方の積極性の方を強く感じてしまう。

市民の声でよみがえった八幡堀
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