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豊な心に培われた 豊かな文化

 この中山道を使って活躍したのが近江商人である。  愛知川にほど近い宮荘(みやしょう)集落に近江商人の一人藤井彦四郎旧邸を使った五個荘町歴史民俗資料館がある。近江商人や五個荘の歴史、生活の資料などが展示されているが、部屋々々の造りや琵琶湖を模した 池を配した庭園などからも当時の近江商人の文化がうかがえる。
  近江商人の屋敷は宮荘だけでなく、山本や川並でも見ることができる。 中でも金堂集落は白壁と舟板塀の蔵屋敷が美しいたたずまいを残し、平成十年に 「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。「五個荘」という名の響きもそうだが、「金堂」という響きもなんて美しいだろう、と思う。

 

 

 
五個荘町歴史民族資料館の近江商人の像


 金堂にある外村繁生家の2階。

その昔、聖徳太子がこの地に来て建てられたのが金堂だったといい、「よりて村の名とす」と浄栄寺の記録にあるそうだ。聖徳太子伝説はこの辺り一帯には多い。金堂の西、繖山(きぬがさやま)の北部にある緑陰深い石馬寺(いしばじ)もそうで、 乱れづみの右段の登り口に太子伝説の、石となった馬のいる小さな池がある。
 金堂は江戸時代、大和郡山藩領であり、陣屋が置かれていた。陣屋の周囲に弘誓寺(ぐぜいじ)や勝徳寺、安福寺などを配した形態は、小城下町風でもある。それが 豪商のお屋敷の風情と相まって独特の景観を作っているように思う。
  ここには、近江商人の家に生まれ、自らも一時は呉服木綿問屋の家業を継いでいた作家外村(とのむら)繁の生家や、外村家の本家である外村宇兵衛家などが、それぞれ近江商人の屋敷(外村繁文学館、近江商人屋敷)として公開されている。
 繁の家は分家、宇兵衛の家は本家。宇兵衛家は豪商だったこともあるが、家の造り一つにも本家と分家という立場がわきまえられ ていたこともわかる。が、どちらの家も奢侈(しゃし)ではなく、司馬遼太郎氏がその著『街道をゆく』で書かれていたように《たがいに他に対してひかえ目で、しかも微妙に瀟洒(しょうしゃ)な建物をたてるという》 《近江という地の文化の土壌の深さ》を感じる。それは、この外村家ばかりではなく、外村家の西にある、今はあきんど大正館として公開されている中江家も同じである。明治から昭和の戦前まで百貨店王と言われた 豪商の家だが、些かのいやらしさもない造りは潔く心落ち着く。

 

 

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