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語り伝えていきたい 中山道の風景

ここに背の高い火の見櫓があったんです。それに、 松並木でしょう。風の強い晩なんぞ、ゴーツ、言う て鳴ってましたな。子どもには恐ろしい音でした。 けど、よお登って遊んでましたんやで、あの松」
 五個荘町三俣(みつまた)の中山道沿いに小さなポケットパークがあり、そこにセラミック製の大きな絵図が掲げ てある。江戸時代の中山道の、五個荘町域、清水鼻村から小幡(おばた)中村、愛知川(えちがわ)までの家々や寺、神社、川、 山、そして松並木…等々が柔らかな色彩、軽快なタ ッチで描かれている。文化三年(一八〇六)に全十巻で描かれた 『中山道分間延絵図(ぶんけんのべえず)』 (原本は重文で 東京国立博物館蔵、レプリカが近江商人博物館にもある)の一部だという。
 中山道を石塚からやってきて、それを見ていると きに声をかけてもらったのだった。


中山道三俣に生きている松


中山道五個荘に関する絵図。セラミック製だ。

 

  ポケットパークの前の家の方が、松並木のあったころの中山道(つまり、その方の子どものころ)のことや五個荘の話などを語ってくださった。結構広い道も当時のままの幅であり、当時は、いま歩道になっているところが堤防で、松もその上に植わっていた、と。戦後、 道を修理するのにその堤防の土が使われ、堤防がなくなってしまったこと。松並木の松もそのときに伐られてしまったこと。一本、残った松をみんなで 大事にしていること…。
  話を開きながら、見たことのないはずの昔の中山道の様子が見えるような気がし始める。語ってもらう楽しさとはこういうことなのだ、と思うほど目の 前の世界が膨らんでいった。
 ちなみにポケットパークの隣には梵鐘鋳造の西澤家があった。玄関前に置かれた大きな梵鐘もこの地の大事な語り部なのである。
 中山道は中世には東山道(とうさんどう)と呼ばれていた。五個荘町内大郡(おおごおり)神社周辺には律令時代の郡役所があったと推定され、その遺跡も発見されているが、その折、 東山道も確認され、古代から日本の幹線道だったことが判っている。そんな往来の中に生まれたのが 「小幡でこ」。
  泥絵の具で彩色したかわいい人形で、中山道や御代参(ございさん)街道をゆく旅人のお土産や子どものおもちゃとして喜ばれていたという。江戸時代初め、細居安兵衛なる者が京都の伏見人形の作り方を修得し、小幡で始めたのが最初。明治初期までは四、五軒はあった店も、 現在は創始者でもある細居家だけがその伝統を伝えている。昭和五十九年に八代目の文蔵氏の人形<小槌乗り鼠> が、また平成四年には<桃持ち猿>が年賀切手に採 用され、「小幡でこ」は一躍世に知られていった。その小幡からほどなく愛知川。堤防に<太神宮> と記された常夜灯が今も建ち、街道を行き交った人々の影を偲ばさせてくれる。

 

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