| 旧中山道愛知川宿今昔 |
ところで、愛知川やその近隣の町々の有志の方た
ちが「まんなかの会」というユニークな会をつくっ
ていらっしやる。「近江は日本のまん中だ」と主張
し、これからの旅や地域のあり方を考えていこうと
いう会である。その会が草津から柏原までの旧中山
道を三つに分けて『江州細見・近江之中山道・道中
案内図』という案内本を作製。シリーズ其ノ二″
が愛知川宿から始まっている。子たちの作文の余韻
に浸りながら、それを手にあらためて愛知川宿を歩
いてみた。
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国道8号線の愛知川畔にたつ常夜灯
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まずは愛知川に架かる御幸橋(みゆきばし)。国道
八号線は今や車の洪水…。車社会での毎日だから、
さほどにこの交通量に驚くこともなかったけれど、
ひと度、中山道の旅人°C分になって歩き出すと、
目をパチクリしてしまう。安藤広重の『木曽街道六
拾九次』の恵智川″の画の、なんとものどかな風
景は、どんどん流れ去っていくばかり…である。
御幸橋は愛知川の成宮弥次右衛門たちがお金と力
を出しあって、彦根藩に申し出て架けられた橋だが、
これが無賃橋。徳川幕府は軍事上、河川に架橋を禁
止していたから、普通は川越人足に有料で川を渡し
てもらわねばならなかった。だから、橋があり、し
かも無料というのは旅人には大変有難いことだった。
広重の画にも《むちんはし はし銭いらす》の標柱
がしっかり描かれている。
案内本によると現在の橋は昭和三十六年、国道八
号線新設の時に架けられた四代目といい、元はもう
少し上流にあったそうである。
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写真上 安藤広重の「木曽街道六拾九次」より恵智川の絵
(ポケットパークのモニュメントより)
写真下 旧中山道にある不飲橋
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その元々の中山道は国道の不飲橋(のまずばし)の信号から東に入る。不飲橋は不飲川に架かる橋。小
さな小さな川だから今までトンと気づかずに通りすぎていた…が、ちやんと川があり、橋もあった。し
かも随分と歴史のある川なのだ。
その昔、平将門(たいらのまさかど)の首をこの川の源流で洗ったら血で濁ってしまい、以後、水が飲
めなくなってしまった。、むこで命名されたのがこの名前だという。戦(いくさ)がらみのこのての言い
伝えをもつ地名は各地に点々とあるが、戦を嘆ぐ民の、せめてもの死者への弔いのような気がする。
平将門は平安時代、京に攻め上る途中、瀬田唐橋で藤原秀郷(ふじわらひでさと)に謀反人として討た
れた武将だが、三上山の俵藤大(たわらのとうた)のムカデ退治の話はこの将門の乱をお伽話にしたもの
である。
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