| 合理主義者信長の事業 |

安土問答の行われた浄厳院の楼門は、
−昨年、復元された。
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信長が安土に目をつけた理由の一つには、佐々木
氏の楽市楽座で根付いていた町の活気も魅力だっ
た、という話もある。合理的な信長がその空気を見
逃すはずはない、というのが話しの根拠。観音寺城
の南の麓に石寺(いしでら)という集落がある。一
五四九年、佐々木氏はここに日本で最初の楽市を開
いている。信長が佐々木氏を落とすより二十年も前
のことだ。
信長の政策の一つに宗教弾圧もある。浄土宗と法
華宗に論議させ、信長裁定で浄土宗を勝利させた有
名な安土問答は法華宗排斥のためと言われている。
慈恩寺(じおんじ)集落の浄厳院(じょうごんいん)
で行われた。重文の本堂をはじめ釈迦堂や鐘楼など
が建ち並ぶ浄厳院はJR安土駅の少し南西にある。
朱塗りの楼門は解体修理の後、一昨年春、復元され
たもので、美しく、堂々たる風格を呈している。
JR安土駅前の安土町城郭資料館の横に相撲やぐ
らがあるのは信長が相撲を好んだことにちなむも
の。信長は常楽寺で相撲大会を開催。それまでの相
撲は土俵はなく人が作った輪の中で取組をしていた
のだが、この時、初めて土俵が造られたという。近
代相撲の発祥地と言われる所以である。現在の大相
撲で東と西に分かれるのもこの常楽寺相撲で勝負の
つかなかった二人に東と西という名字が与えられた
ことによる。ちなみに、東サンと西サンは安土町内
に何軒か今もある。
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近代相撲発祥地とされる安土につくられた
相撲やぐら
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| 住みよい町をつくる
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信長にとって城をつくるということは町をつくるということだった。城だけでなく、セミナリオを開
き西洋文明を学び、道を整備し人や文化の交流を促し、楽市楽座で町に活気を生み、…、信長は、それ
までの日本人にない概念で日本を考えていたのである。安土での信長の時間は短かったから近江の人が
信長に親しむには時間が足りなかったかもしれない。が、信長はこの安土を中心に理想郷を築こうと
したのである。
九七年秋、老蘇(おいそ)の森の奥石(おいそ)神社で安土まちづくりフォーラムが開催された。
信長がいれば真っ先に参加したのだろうな、と思う。安住の土地をこの地に造ろうとしていただろうから。
その精神が安土の町の人たちに継がれているとしたら、志半ばで倒れたとはいえ信長も本望だろうな、
と思ったりする。
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| 問合わせ
安土町地域振興課 電話 0748・46・3141
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