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安土町 ▲まちづくりインデックス

 
湖水を見下ろしていた
信長安土域

 信長が安土を本拠地に選んだのは戦略的に
重要な場所だったからだが、加えて琵琶湖が
手のうちになることもあったであろう。
 安土に地歩を固めるために、信長はまず将
軍足利義昭を桑実寺(くわのみでら)に迎え
た。桑実寺は観音寺山の西の山腹にある天智
天皇創建と伝わる古刺(こさつ)。入母屋、
槍皮茸の本堂は室町時代初期の建物で現在、
重要文化財にもなっている。厳(いか)めし
さより優しさの漂う建物だ。この寺が原因の
桑実寺事件は信長の激しい性格を言うときに
今も語られる事件の一つになっている。

安土山から西ノ湖を遠望する。

 その桑実寺から里に下りて少し北に行くと安土町文芸の郷がある。県立安土城考古博物館や文芸セミナリヨ、安土マリエート…等々、中世ヨーロッパを想わせる建物が並ぶ一角に安土城天主・信長の館があり、復元した華麗な安土城の天主の五、六階部分(原寸大)が収めてある。

安土城址。天主閣は僅か3年で焼失してしまった。
安土城のある安土山は今、田園の中の〈山〉だが、
当時ここは琵琶湖に突き出た岬状の地で、三方、湖
水だった。湖水の風景がどれだけ信長の心を癒した
ことか、と思う。小中の湖、大中の湖が太平洋戦争
の時と戦後に干拓され、城は湖から遠く離れてしま
った。
 安土城は最初の天主閣のある城であり、以後の日
本の城の形に大きな影響を与えたのだが、僅か三年
でことごとくが焼失してしまう。平成元年から遠大
な計画のもと、順次発掘調査や整備が進められ、少
しずつ、往時の姿が明らかになってきている。分か
っているのはこの城は町とともにある城であったこ
と。常楽寺から下豊浦にかけて城下町ができ、常浜
(じょうはま)は信長の大事な港であった。今、そ
の場所は穴太積(あのうづみ)の石垣や遊歩道など
もある水辺の憩いのゾーンになり平和そのもの。ち
なみに、この石垣、安土城の石垣を積んだ穴太衆の
技法を伝え継ごうと安土町が開く養成講座の受講生
たちが積んだものだそうだ。
 



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