ともあれ、佐々木氏は観音寺山に砦(とりで)のようなものを早くに築いてはいたようだが、居城と
して城を築いたのは応仁二年(一四六八)。知恵を重ね堅牢な城ができていった。が、永禄十一年(一
五六八)、上洛する信長の勢いの前に観音寺城は人戦することなく陥落した。
この堅牢な城の跡は今も観音寺山のあちこちで見ることができる。本丸跡の石垣や石段からは豪壮さ
が容易に想像できるし、西ノ湖や琵琶湖を茫洋と望む山頂への道に入ると伝淡路丸跡や石塁が散在する。
草叢の中に石畳の溝のようなものがある。雨水が石垣を崩さないために造られた樋だという。「生えて
いる草木を見ればそこの地盤の性質がわかります。」と言っていた大工さんがいたが、そういう人たちが
築いた城なのだ。「自然を視つめる」という科学があったのである。観音寺山もそんな視点で草木を見、
石塁をたどると、何だか自分がこれから城の縄張りをしていくような楽しい錯覚の中に遊べる。
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