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昔人の知恵が築いた
佐々木氏観音寺城
 観音正寺のある観音寺山は標高四三二メートル。
別名、繖山(きぬがさやま)とも呼ばれている。京
の都に近い近江にあって軍事的要衝地であった。こ
の山には元々聖徳太子開基以来の観音正寺があった
のだが、中世、戦が日常的になってくると、近江の
守護佐々木六角氏は寺を山麓に降ろし、この山に城
を築く。観音寺城である。
 佐々木氏は近江源氏の嫡流で、平安から室町時代
にかけて近江を支配した。JR安土駅の南にある
沙沙貴(ささき)神社は佐々木氏の氏神社。茅葺き
の楼門の中に立派な本殿や拝殿、権殿などが並び、
その力のほどと、それから、地元の人の佐々木氏へ
の敬愛の念がうかがえる。もう十年も前のことだが、
お参りに来ていた老人が「(信長は)侵略者ですか
ら…」とおっしゃった言葉が今も耳に残っている。
近江にとって信長は確かに侵略者だったのだ。


佐々木氏の観音寺城があった観音寺山

佐々木氏の氏神社である沙沙貴神社
 ともあれ、佐々木氏は観音寺山に砦(とりで)のようなものを早くに築いてはいたようだが、居城と
して城を築いたのは応仁二年(一四六八)。知恵を重ね堅牢な城ができていった。が、永禄十一年(一
五六八)、上洛する信長の勢いの前に観音寺城は人戦することなく陥落した。

 この堅牢な城の跡は今も観音寺山のあちこちで見ることができる。本丸跡の石垣や石段からは豪壮さ
が容易に想像できるし、西ノ湖や琵琶湖を茫洋と望む山頂への道に入ると伝淡路丸跡や石塁が散在する。
草叢の中に石畳の溝のようなものがある。雨水が石垣を崩さないために造られた樋だという。「生えて
いる草木を見ればそこの地盤の性質がわかります。」と言っていた大工さんがいたが、そういう人たちが
築いた城なのだ。「自然を視つめる」という科学があったのである。観音寺山もそんな視点で草木を見、
石塁をたどると、何だか自分がこれから城の縄張りをしていくような楽しい錯覚の中に遊べる。

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