■ 榎の宿と和邇
小野の集落をあとにして和邇川を渡ると家並が続く。三差
路の真中に注意縄がめぐらされた石牌が立っている。枯れて
| 和邇中の「榎」碑 |
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しまった榎の大木に変わって建てられたそうです。榎の宿と
いわれていた和邇の宿、角の木下屋旅館は榎があった当時を
しのばせる風格がうかがえる。西近江路は「和邇九ヶ郷」と
いわれる小野、栗原、中村、高城、今宿、南浜、中浜、北浜
南船路の各村にまたがり、琵琶湖岸に面する北浜、中浜、南
浜を和邇浜とよばれています。この浜には琵琶湖特有の魦が
漁れる。魦はウキゴリの幼魚にあたり、飴煮や魦汁が湖国の
素朴な味覚を楽しませています。北浜の集落を抜け北へ進むと、
比良の山々が写って来る。浮世絵「比良の暮雪」の一コマが
浮びます。安藤広重が描いた近江八景の原風景を求め比良の
山なみと対話をするが浮世絵に描かれた風景位置は見つかり
ませんでした。再びJR湖西線をくぐり北船路の八所神社に
あたる。八所神社の由来は日吉社七体のご神体を神宮祝部行
| 比叡山焼き打ちのおり日吉大社七体のご神体をかくまった八所神社 |
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丸が織田信長の比叡山焼打ちのとき、この地に運び、元来の
地主神と合せて八体のご神体をまつったことによるといわれ
ている。この近くに竜神の池としての小女郎池があり、雨乞
いの行事が行なわれ、集落住民との強い結びつきのある池で
ある。道は八屋戸小字守山の集落の手前で「左京大津」と刻
まれた自然石の道標がある。この集落は江戸時代には薪炭石
材などが船で運び出されていた。西江洲産の石として燈籠な
どに加工されています。良質の石材だと石材屋の大将より聞
いております。西近江路は冬になるとにぎわうびわ湖バレイ
の取り付け道に出会う。スキー客を迎えるためお店の下準備
がもう少しで始まります。木戸の集落に入る。志賀清林の墓
がある。清林は相撲節会に際して、聖武天皇の勅令をうけ相
撲48手の基本作法をあみだしたといわれている。今日の相
撲隆盛の原点を作った人物として、相撲技の始祖として光を
はなっています。相撲のルーツが淡海であることに驚きつつ
北へ進みます。
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